久しぶりの新宿へ

今日は久しぶりに妹が見舞ってくれるという事で、
任せして仕事をしています。

母も夕食だけでも父に付き合いたいと言っていたので、
私は病院はお休みです。

羅漢果がお砂糖の代用品として
いいらしいと聞いて、仕事の気晴らしを兼ねて、
新宿の小田急デパートの自然食のショップまで
探しにいきました。




久しぶりに道行く多くの人の中にいると、
遠い日の思い出のなかにいるように、
懐かしさが胸に込み上げます。

そこは以前私がいた場所で、何の前触れもなく
別の場所へ連れていかれてしまったらしい、
という実感が私の心を揺さぶるのです。
そして、何も変わらない日々を信じて、
忙しそうに、笑顔で用事を済ましている人たちを
ちょっぴり羨ましくも思いました。

けれど、その人たちだって私と同じような、いえ
もっと深刻で苦しい現実と戦っているのかもしれないのです。

今日、小田急デパートへ来る事だけが唯一の楽しみであって、
あとは天涯孤独な生活とか、あるいはいじめの中とかに戻るだけの
つかの間の笑顔なのかもしれません。

あるいは、経済的に苦しくて、
明日になったら何かを決断しなければという今日、
少しのご褒美に新宿まで足を伸ばした人だっているかもしれない。

もちろん、私のように子どもや家族が病気だったり、
自分自身が病気だったり…。

もっと言えば、
誰かを恨んでいたり、憎んでいたり、
のろっていたりして日々を絶えている人だっているかもしれない。
誰かをおそれ、逃げ、おびえて生きている人だっているかもしれない。

それでも、みんなこぎれいな格好をして、
足早にそれぞれの目的のために私の傍らをとおりすぎていくのです。

比べるまでもなく私は恵まれているのです。

孤独ではなく、現在いじめにあっているでもなく、
誰かに束縛され、遠慮して生きてるいるわけでもない。
長年続けてきた仕事もあって、
身体にも大きな問題を抱えているわけではない。

自分が、誰かのために
心から何かをできる事そのものが、
とてつもなく幸せなことなのかもしれないと思います。

人は幸せでいる事にも後ろめたさを感じるのかもしれません。
災害復旧のボランティアに行ったり、
募金活動に参加したり、親しい人の愚痴を聞いたりしていることは、
決して「している」事ではなく、
「させていただいている」事なのだとも思うのです。


目的の羅漢果をみつけられぬまま帰宅すると、突然腰痛が…。
ここでぎっくり腰になったら大変と、
ストレッチをして横になりました。

思えばずっとばたばたしていて、
自分の身体の事を考える事はなかった。

突然の生活の変化に、少し蓄積疲労があるのかな? 
そう考えてみると母はもっとに違いありません。
母は頑張っています。本当に。


母と電話で話したところ、妹と一緒に
末っ子の姪も見舞いに来てくれたそうです。
ありがたいです。

父は明日は誰が来てくれるんだ? と聞くそうで、
少し甘えはじめているようです。

M病院に入院して10日。
もしかしたら、気もちのほうが、
漠とした不安と、寂しさに
押しつぶされそうになっているのかもしれません。

明日は母が行ってくれるとの事。
私が変わりたいのですが、仕事が立て込んでいて
どうにもなりません。
せめて、腰の痛みがとれてくれますように。

父が心細いのは十分理解できますが、
母の体力が心配です。
どうしたらいいのか…。

妹からメールがあり、
看護師の方に聞いたところ、
まだ医師からの指示がないので、
父は当分このままらしいとのこと。
外科のほうは順調らしいけれど、
合併症が収まらないらしいです。
父はそれを感じているのかな?


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