母の自由。
今日、もうひとつ実家に近いD老健を見学してきました。
母も見ておいた方がいいと妹が言うので、
母と妹、相棒と私の4人での見学です。
独り部屋が少なく、
共同生活に慣れていない父は大丈夫かと
気になりはしましたが、
致し方ありません。
年末が近づくと誰もがショートステイを希望するので、
部屋が空かないこともあるということです。
ショートステイと言っても
一泊から3ヶ月間までというのですから、
事情によって、いろいろであることが察せられます。
その後、4人で近くのファミレスに寄って
いろいろ話しましたが、
とりあえずお父さんには先に見学したM老健を
第一希望にして、一ヶ月は
リハビリしてもらおうと言うことになりました。
妹はいろいろ調べてくれたり、
申し込みをしてくれたりで、なかなか頼りになります。
母はひとりで暮らす孤独感など
今のところは全くないようなので、少しほっとします。
それもそのはず、
私が料理を作り、相棒が料理と漢方薬の煎じ薬を届けてくれたり、
妹と会ったり電話で話したりで、
常に誰かとコミュニケーションをとっている上、
デイサービスに週一回通ってもいるので、
それだけで大忙し。
その間に自分の身の回りのことや、
家のことをして、身支度をして父の元に通う。
当然、父からの洗濯物を受け取っては洗濯をし、
必要な物を紙に書いて届けたりもしています。
今までの、静かな、
ある意味単調なふたりの暮らしから思えば
その充実ぶり(?)は驚くほどになっています。
やるべきことが増えると、空いた時間も
じっとしていられなくなるものかもしれません。
だからか、母はトランクルームの
荷物の整理まで、知り合いに手伝ってもらいながら
やっているというではありませんか。
立派です。
さらに、漢方薬を一日6回も飲んでいるので、
それを欠かさずに続けるのにも気を使います。
頑張っているのがよく分かります。
おかげで、少し元気になってきたらしく、
このところ食欲もあって、気のせいか
痰も改善されているそう。良かった!
何よりも、母は自分の時間を自由に使えることが
嬉しそうです。
自分で今日のスケジュールを決め、
疲れたら誰にも気兼ねせずに横になれる。
父がいないことで、母の自由が増えたことは
母にとって嬉しいことに違いありません。
劇的にすべてが良くなるわけではないにせよ、
いろいろなことが相乗効果となって、母の身体も
心も健康になってくれたら…と心から願います。
父が帰ってきたら、どうなるのでしょうか。
母は父に気遣いをし、今ほど自由でいられなくなる。
そして、前のように動けない父に
あれこれ指図されながら時を過ごすのでしょうか。
人は自主的にやっている時は案外頑張れるものですが、
指図されてやると、どうしてもペースや方法の違いで
疲労がたまり、愚痴に繋がってしまうものだと思います。
まして、感謝もされず、当然のことのように要求されれば、
気もちはあっても嫌になっても不思議ありません。
母に今のように、気ままな一人暮らしをしてもらい、
私が父を引き取るという決断もあるかなと思います。
ただ、母は父を引き受けることができそうだと
漠然と思いはじめているようで、
その主体性を今は尊重したいと思います。
そして父は、母と相談して自分で決めると
繰り返し言うので、私はその意志を応援するつもりでいます。
実際にどういう結果になるにせよ、
父も、母も、それぞれに前向きに生きようとしてくれています。
それだけで、素晴らしいことだと思います。
くよくよと、まだ起きてもいないことを心配しながら
生きていても仕方ありません。
目の前のことをひとつずつ、ひとつずつ。


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母も見ておいた方がいいと妹が言うので、
母と妹、相棒と私の4人での見学です。
独り部屋が少なく、
共同生活に慣れていない父は大丈夫かと
気になりはしましたが、
致し方ありません。
年末が近づくと誰もがショートステイを希望するので、
部屋が空かないこともあるということです。
ショートステイと言っても
一泊から3ヶ月間までというのですから、
事情によって、いろいろであることが察せられます。
その後、4人で近くのファミレスに寄って
いろいろ話しましたが、
とりあえずお父さんには先に見学したM老健を
第一希望にして、一ヶ月は
リハビリしてもらおうと言うことになりました。
妹はいろいろ調べてくれたり、
申し込みをしてくれたりで、なかなか頼りになります。
母はひとりで暮らす孤独感など
今のところは全くないようなので、少しほっとします。
それもそのはず、
私が料理を作り、相棒が料理と漢方薬の煎じ薬を届けてくれたり、
妹と会ったり電話で話したりで、
常に誰かとコミュニケーションをとっている上、
デイサービスに週一回通ってもいるので、
それだけで大忙し。
その間に自分の身の回りのことや、
家のことをして、身支度をして父の元に通う。
当然、父からの洗濯物を受け取っては洗濯をし、
必要な物を紙に書いて届けたりもしています。
今までの、静かな、
ある意味単調なふたりの暮らしから思えば
その充実ぶり(?)は驚くほどになっています。
やるべきことが増えると、空いた時間も
じっとしていられなくなるものかもしれません。
だからか、母はトランクルームの
荷物の整理まで、知り合いに手伝ってもらいながら
やっているというではありませんか。
立派です。
さらに、漢方薬を一日6回も飲んでいるので、
それを欠かさずに続けるのにも気を使います。
頑張っているのがよく分かります。
おかげで、少し元気になってきたらしく、
このところ食欲もあって、気のせいか
痰も改善されているそう。良かった!
何よりも、母は自分の時間を自由に使えることが
嬉しそうです。
自分で今日のスケジュールを決め、
疲れたら誰にも気兼ねせずに横になれる。
父がいないことで、母の自由が増えたことは
母にとって嬉しいことに違いありません。
劇的にすべてが良くなるわけではないにせよ、
いろいろなことが相乗効果となって、母の身体も
心も健康になってくれたら…と心から願います。
父が帰ってきたら、どうなるのでしょうか。
母は父に気遣いをし、今ほど自由でいられなくなる。
そして、前のように動けない父に
あれこれ指図されながら時を過ごすのでしょうか。
人は自主的にやっている時は案外頑張れるものですが、
指図されてやると、どうしてもペースや方法の違いで
疲労がたまり、愚痴に繋がってしまうものだと思います。
まして、感謝もされず、当然のことのように要求されれば、
気もちはあっても嫌になっても不思議ありません。
母に今のように、気ままな一人暮らしをしてもらい、
私が父を引き取るという決断もあるかなと思います。
ただ、母は父を引き受けることができそうだと
漠然と思いはじめているようで、
その主体性を今は尊重したいと思います。
そして父は、母と相談して自分で決めると
繰り返し言うので、私はその意志を応援するつもりでいます。
実際にどういう結果になるにせよ、
父も、母も、それぞれに前向きに生きようとしてくれています。
それだけで、素晴らしいことだと思います。
くよくよと、まだ起きてもいないことを心配しながら
生きていても仕方ありません。
目の前のことをひとつずつ、ひとつずつ。


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