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無い物ねだりができるだけ。

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父はだんだんと回復してきて、
病院の食事にも飽きてきたそうです。

ただ、ひとつ気になることは
世の中に対する好奇心も一緒に薄れてきている気がすることです。
父の関心は、もっぱら自分の身体に対してのもので、
リハビリは続けているものの、
できれば座って過ごしたいと思っているようにも思えます。

階段も大丈夫。杖で歩くこともできる。
手すりがあればトイレも問題ない。とは言うのですが、
自宅に帰る際に車椅子はあるのか? が最初の質問でした。

一時帰宅なら別に帰る必要もないと
言う言葉が聞こえてくるようでした。

あれほど、惜しいことをした。
もう一度自分の足で歩いて、家での生活に戻りたいと
願っていた筈なのに。

病院に入って一ヶ月半。
父は看護師の方々をベルひとつで呼ぶことができ、
してほしいことをお願いできる環境に
満足しはじめているようです。
至れり尽くせりの看護に慣れすぎて、
自分で努力しなければならない、
普通の生活に対する魅力と意欲を
失ってしまったのでしょうか。


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手厚い介護を知ってしまうと、
人は、それまでの好奇心や希望が
薄れて行くのかもしれません。

代わりに身体的な快と不快が重要になってきて、
自分でやることの苦痛をおっくうに思い、
ボーっとしながら、楽で安心な生活を
望み始めてしまう。

大変で、努力を必要とする生活を支えるのは、
自分の力で自由に生きていたいという願望です。

もし、父がその願望を失ってしまえば、
楽な方へまっしぐらで、
歩くことどころか、立つことまで面倒くさいと思い出すのでは…
と考えると気もちが重くなります。

すべてが私の杞憂であることを願うばかりです。


楽に生きたいと願うことは悪いことではないと思います。
けれど、それは父の今までの考えと
かなり乖離していると思うのです。

もしかしたら、手厚い看護、手厚い介護とは、
本人の意識のなかから、
頑張って自分らしくいようとする心を、
楽して成り行きに任せようという、
自力本願から他力本願への移行が
隠された目的なのかもしれないと疑ってしまいます。


とはいえ、人はどちらか幸せなのでしょうか。
無理をさせたくはないけれど、
未来への前向きな気もちを失っては、
せっかくここまで誰にも頼らずに生きてきた
父の頑張りの歴史が可哀想な気がします。

父のわずかな変化に
私の心は妙に揺さぶられるばかりです。

介護保険は介護される本人のためだけではなく、
介護しなければならない家族を救うためにあるのだと
聞いたことがあります。

先達が用意してくれた
介護というシステムに感謝しつつ、
一抹の不安を感じる私がいます。

それとも、父は我慢することに精一杯で、
粛々と退院の日に向けて、
心までを抑え込んでいるのでしょうか。

父が回復していくに連れ、
私も無い物ねだりをし始めているのかもしれません。

手術を終えたばかりの父の姿を思い出せば、
無い物ねだりができるだけ幸せに違い無いのにね。






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