母は母なりに、父を信じて頑張っている。
母の好きそうな物を取り揃えて、実家へ。
父の病院へ行く前に、煎じ薬と
1日分の食事は宅配ボックスに届けておいたのですが、
追加の2日分を渡しがてら、夜母の顔を見に行く事にしました。
母は父の退院時に着る洋服をあれこれ悩み、
私に意見を求めます。
介護タクシーの手配とか、
M老健への入所の手続きとかを気にしていた私にとって
着ていく物など失礼が無ければなんでもいいと思い、
楽なスエットの上にロングのダウンでも着ればいいのでは
と言ったのですが、
母はきちんとした格好をさせたいようです。
人が気にする所はいろいろなんだと改めて思いました。
それから、父が帰ってきた時のための
不要品の整理の話になり、
母は溜め込んだ、もはや使うことのない品々に
うんざりしながらももったいなくて捨てられないようです。
押し入れには、誰も使わない客用の布団が
ぎっしりと積まれています。
部屋のいたるところに、使うあても無い品々が、
詰め込まれているのを見るだけで、悲しくなりました。
収納ダンス、引き出し、納戸… どこを開けても
隙間無く物が溢れていました。
奥の方へ入り込んだ物は、もう何十年も
人目につく事すら無かった物たちばかりです。
流行遅れの服や、景品でもらった物や、
いつか使うかもしれないと思って溜め込んだ、
おそらく決して使う事が無い物たち。
父の足下を少しでもすっきりするためにも
整理してほしいと思うのですが、
母は頑として受け入れてはくれません。
途方にくれます。
なかには、買っては来たものの箱に入ったまま
開ける事も無くしまわれている物もあります。
いつか老人ホームにお世話になる日が来たら、
この途方も無い荷物は
誰が整理することになるのかと思うだけで
悲しみを通り越して、胸が苦しくなる思いがしました。
これらの物を泣きながら処分する自分が
見える思いがしました。
「こんなに古い物ばかりが残されたら、
残された私が苦しむ。
もし、お母さんもお父さんもいなくなってしまったら、
これを誰が整理することになると思っているの」
と思わず強い言葉で母に苦言を訴えてしまいました。
母は、そうだよね。そうだよね。
と繰り返すだけでした。
◎
実家からの帰り道、ちょっと反省しました。
どうして私は父によりも母に苦言を言ってしまうのでしょう。
母のことも大好きで、応援したいと心から思っているのに、
なぜかいつもいじめてしまうのです。
相棒に言わせれば、価値観の違いで、
それはどうしても相容れないものなのだそう。
ロシアとアメリカが違う価値観を持っているのと
同じだというのです。
そんな〜!
帰宅すると妹からメールが。
なぜ老健に一ヶ月だけにするの。
長く居ては行けないの? と言う内容。
父は一ヶ月だけなら行くと言ってくれたので、
約束を守るためだと答えると、妹は
「お父さんはたった2ヶ月で我慢できなくなってしまうんだから、
どんなに良い施設に入っても文句を言うでしょうね」
と冷たく言ってきました。
おそらくそうだと思います。
父の施設への偏見は筋金入りです。
私はそれでも、父が諦めて施設に行きたいと言えば
全力で探すつもりもあります。
同居の可能性も捨てていません。
本人が望むことを応援する。
それが私のできることだと思っています。
幸いにも頭がクリアな父の自由と尊厳を
守ってあげたいと思うだけです。
でも、母はどうなのでしょう。
急に気になって謝りがてら電話してみました。
すると…
母は、なんと、あれから大きなひとり掛けソファーを
粗大ゴミとしてだすために
マンションのゴミ置き場までひとりで運んだのだと言います。
びっくりです。
エレベーターまで押したり引っ張ってたりして行き、
そこに乗せて、ゴミ置き場までまた押したり引っ張ってたりしたのだと。
大変だったと。
…想像しただけでぞっとしました。
もし母まで転んだりしたら
今度こそお手上げです。
母も反省し、私へのお詫びと思って
目についたソファーを捨てようとしたのだと思います。
なんとも、健気な母を愛おしく思いもしました。
そして、少し元気になっているようで嬉しくも思いました。
そして、母は父を信じて頑張りたいですと
きっぱりと言います。
母は母なりに一生懸命だったのです。
私は、そんな母の言葉に甘えてしまって良いのでしょうか。
◎
一日があっという間に終わります。
でも、長い一日でもあります。
心をかき乱されることばかりですが、
それでも父も母も元気です。
喜怒哀楽をもってそれぞれが
この一瞬一瞬を生きています。
父も母も、私にたくさんのことを身をもって教えてくれています。
なんて私は幸せ者なんだろうと思います。


にほんブログ村
父の病院へ行く前に、煎じ薬と
1日分の食事は宅配ボックスに届けておいたのですが、
追加の2日分を渡しがてら、夜母の顔を見に行く事にしました。
母は父の退院時に着る洋服をあれこれ悩み、
私に意見を求めます。
介護タクシーの手配とか、
M老健への入所の手続きとかを気にしていた私にとって
着ていく物など失礼が無ければなんでもいいと思い、
楽なスエットの上にロングのダウンでも着ればいいのでは
と言ったのですが、
母はきちんとした格好をさせたいようです。
人が気にする所はいろいろなんだと改めて思いました。
それから、父が帰ってきた時のための
不要品の整理の話になり、
母は溜め込んだ、もはや使うことのない品々に
うんざりしながらももったいなくて捨てられないようです。
押し入れには、誰も使わない客用の布団が
ぎっしりと積まれています。
部屋のいたるところに、使うあても無い品々が、
詰め込まれているのを見るだけで、悲しくなりました。
収納ダンス、引き出し、納戸… どこを開けても
隙間無く物が溢れていました。
奥の方へ入り込んだ物は、もう何十年も
人目につく事すら無かった物たちばかりです。
流行遅れの服や、景品でもらった物や、
いつか使うかもしれないと思って溜め込んだ、
おそらく決して使う事が無い物たち。
父の足下を少しでもすっきりするためにも
整理してほしいと思うのですが、
母は頑として受け入れてはくれません。
途方にくれます。
なかには、買っては来たものの箱に入ったまま
開ける事も無くしまわれている物もあります。
いつか老人ホームにお世話になる日が来たら、
この途方も無い荷物は
誰が整理することになるのかと思うだけで
悲しみを通り越して、胸が苦しくなる思いがしました。
これらの物を泣きながら処分する自分が
見える思いがしました。
「こんなに古い物ばかりが残されたら、
残された私が苦しむ。
もし、お母さんもお父さんもいなくなってしまったら、
これを誰が整理することになると思っているの」
と思わず強い言葉で母に苦言を訴えてしまいました。
母は、そうだよね。そうだよね。
と繰り返すだけでした。
◎
実家からの帰り道、ちょっと反省しました。
どうして私は父によりも母に苦言を言ってしまうのでしょう。
母のことも大好きで、応援したいと心から思っているのに、
なぜかいつもいじめてしまうのです。
相棒に言わせれば、価値観の違いで、
それはどうしても相容れないものなのだそう。
ロシアとアメリカが違う価値観を持っているのと
同じだというのです。
そんな〜!
帰宅すると妹からメールが。
なぜ老健に一ヶ月だけにするの。
長く居ては行けないの? と言う内容。
父は一ヶ月だけなら行くと言ってくれたので、
約束を守るためだと答えると、妹は
「お父さんはたった2ヶ月で我慢できなくなってしまうんだから、
どんなに良い施設に入っても文句を言うでしょうね」
と冷たく言ってきました。
おそらくそうだと思います。
父の施設への偏見は筋金入りです。
私はそれでも、父が諦めて施設に行きたいと言えば
全力で探すつもりもあります。
同居の可能性も捨てていません。
本人が望むことを応援する。
それが私のできることだと思っています。
幸いにも頭がクリアな父の自由と尊厳を
守ってあげたいと思うだけです。
でも、母はどうなのでしょう。
急に気になって謝りがてら電話してみました。
すると…
母は、なんと、あれから大きなひとり掛けソファーを
粗大ゴミとしてだすために
マンションのゴミ置き場までひとりで運んだのだと言います。
びっくりです。
エレベーターまで押したり引っ張ってたりして行き、
そこに乗せて、ゴミ置き場までまた押したり引っ張ってたりしたのだと。
大変だったと。
…想像しただけでぞっとしました。
もし母まで転んだりしたら
今度こそお手上げです。
母も反省し、私へのお詫びと思って
目についたソファーを捨てようとしたのだと思います。
なんとも、健気な母を愛おしく思いもしました。
そして、少し元気になっているようで嬉しくも思いました。
そして、母は父を信じて頑張りたいですと
きっぱりと言います。
母は母なりに一生懸命だったのです。
私は、そんな母の言葉に甘えてしまって良いのでしょうか。
◎
一日があっという間に終わります。
でも、長い一日でもあります。
心をかき乱されることばかりですが、
それでも父も母も元気です。
喜怒哀楽をもってそれぞれが
この一瞬一瞬を生きています。
父も母も、私にたくさんのことを身をもって教えてくれています。
なんて私は幸せ者なんだろうと思います。


にほんブログ村
スポンサーサイト