病院から老健へ。
いよいよM病院からM老健への引っ越しです。
母と相棒が10時に向かい、
私は10時半に病院へ到着しました。
父は朝から不機嫌で、
看護師の方と喧嘩までしてしまったそうです。
何でもベッドを空ける時間をせかされ、
ゆっくり退院の準備もできなかったのだそう。
父としてはもう少し優しく送り出して
ほしかったのかもしれませんが、
病院の使命は、優しくする事ではなく、
病気や怪我を治す事にあると思うので、
元気に退院する患者より、瀕死状態ですがってくる
患者を優先するのは当たり前だと思います。
そんな事を分からない父ではない筈ですが、
自分の不安も大きいので、
わがままになってしまうのかもしれません。
◎
父がおよそ2ヶ月を過ごした場所は、
父がベッドを離れた途端、次の人が入り、
もはや父がいた形跡は跡形もありません。
人生の断片を垣間みた思いがしました。
そこにいた人が消えてしまえば、
何事もなかったかのように別の人がそこに暮らし、
先住者のことなど考えることもなく、
別の日常が始まり、人々の記憶から消えて行く。
そこを離れる人にとっても、人生の一時期
そこにいただけの通りすがりの場所、
それが病院なのかもしれません。

父が過ごしたベッド
それぞれの日々に謀殺されながら、
たくさんの人が消えては、新たな人がやってくる。
それは病院だけではなく、現世だって同じなのだと思います。
私たちは、長い長い自然の営みの中を、
一瞬通り過ぎるだけの存在なのです。
それが人類の歴史なのだと思います。
だからこそ、この瞬間を大切にしなければと思います。
この時代のここに生まれることができたのだから。

M病院のみなさま、この2ヶ月間、父を応援していただき
本当にありがとうございました。
たとえみんなが忘れても、
この感謝の気もちを忘れないようにしたいと思います。
◎
父にはなんとか機嫌を取り戻してもらって
早めに病室を出ました。

パジャマ姿以外の父を見るのは久しぶりです。
病院への支払い、荷物の整理、
介護タクシーの手配、車椅子の手配がすべて終わりました。
介護タクシーの到着までの小一時間、
病院の一階のある談話室風の場所で、
父のためにスーパーで調達しておいた
巻き寿司を食べて待つことにしました。
最初は、昼食はいらないと言っていた父ですが、
巻き寿司を見せたところ、ちょっと食べてみようかな
ということに。
病院食に飽きていた父にとっては、スーパーの
巻き寿司が魅力的に見えたのだと思います。


介護タクシーに私が同乗し、
相棒が母と荷物を積んであとからついてきます。
父は2ヶ月ぶりに目にする外堀通りをきょろきょろと
見ながら落ち着かない雰囲気です。
家族でのお花見のため、
このタクシーで
東京都内の桜の名所を
まわることを頼まれたことがあると
運転手さんが話してくれました。
父に伝えると、
「そうだな。来年の春に一度やってみようじゃないか。」
と興味を示しました。
ホッとしました。父はまだ、
やりたいこともないほどの無気力には
陥ってはいないようです。
少なくとも来春の花見までは。
M老健での手続きは案外長くかかり、
施設のルール、リハビリのこと、ケアマネさんとの話、
施設でお世話になる主治医の先生など
入れ替わり立ち替わりで
始めてだったので、緊張でかなり疲れました。
父も母も緊張と疲労で、途中で眠っていました。
そして、父がこれから一ヶ月を過ごす部屋へ
案内していただきました。

部屋に入る父を注意深く観察していましたが、
安堵の表情が溢れてきました。
父のための個室は18㎡で、
決して広くはなかったのですが…
「お父さん、もしかしたらうんと狭くて、歩く場所もない
かもよ。どんな環境でも、もう35キロ地点なんだから
あと一息我慢してね」
と頼んでおいたので、
おそらく父は独房のような雰囲気を
思い描いていたことでしょう。
(独房を見たことは無いのだけれど。)
想像より広めで、
幸運にも南向きの部屋。
明るい光が差し込み気持ちのいい風が通ります。
父はずっと6人部屋の暗い片隅で、
周囲に気兼ねしながら(父なりではありますが)
暮らしてきたので、
個室が嬉しかったに違いありません。
まして、ドアを開けると目の前が食堂。
そのコーナーにはヘルパーさんがいつも
待機していてくれます。
父が部屋に入るなり、
急に明るい表情に変わったのが、
何より嬉しく思いました。
上手く馴染んでくれることを願うばかりです。
その後、私と母と相棒に見守られながら、
父が自分でなんとか着替えをして、
しばらく荷物の整理をしました。
小さな引っ越しでしたが、
なんだかんだと一日仕事でした。
やはり、身寄りの無いお年寄りは
どのように生きればいいのかと改めて思いました。
明日は我が身でもあります。
母と相棒と3人でPパン屋さんのカフェでサンドイッチと
オニオングラタンスープを頼み、簡単な食事を済ませました。
母を家までおくりとどけたところ、
母が突然、父の座る椅子が痛そうだったので、
父にクッションを届けてほしいと
言い出し、仕方なく再び父の部屋へ。
人が気になる所は
本当にいろいろなんだと思います。
ちょうど妹が頼んでおいた卓上用の
引き出しを買って来てくれていて、
杖のホルダーが必要だとか、
デスクにライトがあるといいねとか、
まるで、子供部屋作りのような会話が交わされました。
父は疲れているにも関わらず、意外に元気です。
さて、新しい生活が始まりました。
父の転倒から約2ヶ月、長い長い2ヶ月でした。
その間、私を翻弄し続けた仕事のほうも
もう少しで一段落し、通常ペースに戻れそうです。
今日が、第2章の幕開きなのかもしれません。


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母と相棒が10時に向かい、
私は10時半に病院へ到着しました。
父は朝から不機嫌で、
看護師の方と喧嘩までしてしまったそうです。
何でもベッドを空ける時間をせかされ、
ゆっくり退院の準備もできなかったのだそう。
父としてはもう少し優しく送り出して
ほしかったのかもしれませんが、
病院の使命は、優しくする事ではなく、
病気や怪我を治す事にあると思うので、
元気に退院する患者より、瀕死状態ですがってくる
患者を優先するのは当たり前だと思います。
そんな事を分からない父ではない筈ですが、
自分の不安も大きいので、
わがままになってしまうのかもしれません。
◎
父がおよそ2ヶ月を過ごした場所は、
父がベッドを離れた途端、次の人が入り、
もはや父がいた形跡は跡形もありません。
人生の断片を垣間みた思いがしました。
そこにいた人が消えてしまえば、
何事もなかったかのように別の人がそこに暮らし、
先住者のことなど考えることもなく、
別の日常が始まり、人々の記憶から消えて行く。
そこを離れる人にとっても、人生の一時期
そこにいただけの通りすがりの場所、
それが病院なのかもしれません。

父が過ごしたベッド
それぞれの日々に謀殺されながら、
たくさんの人が消えては、新たな人がやってくる。
それは病院だけではなく、現世だって同じなのだと思います。
私たちは、長い長い自然の営みの中を、
一瞬通り過ぎるだけの存在なのです。
それが人類の歴史なのだと思います。
だからこそ、この瞬間を大切にしなければと思います。
この時代のここに生まれることができたのだから。

M病院のみなさま、この2ヶ月間、父を応援していただき
本当にありがとうございました。
たとえみんなが忘れても、
この感謝の気もちを忘れないようにしたいと思います。
◎
父にはなんとか機嫌を取り戻してもらって
早めに病室を出ました。

パジャマ姿以外の父を見るのは久しぶりです。
病院への支払い、荷物の整理、
介護タクシーの手配、車椅子の手配がすべて終わりました。
介護タクシーの到着までの小一時間、
病院の一階のある談話室風の場所で、
父のためにスーパーで調達しておいた
巻き寿司を食べて待つことにしました。
最初は、昼食はいらないと言っていた父ですが、
巻き寿司を見せたところ、ちょっと食べてみようかな
ということに。
病院食に飽きていた父にとっては、スーパーの
巻き寿司が魅力的に見えたのだと思います。


介護タクシーに私が同乗し、
相棒が母と荷物を積んであとからついてきます。
父は2ヶ月ぶりに目にする外堀通りをきょろきょろと
見ながら落ち着かない雰囲気です。
家族でのお花見のため、
このタクシーで
東京都内の桜の名所を
まわることを頼まれたことがあると
運転手さんが話してくれました。
父に伝えると、
「そうだな。来年の春に一度やってみようじゃないか。」
と興味を示しました。
ホッとしました。父はまだ、
やりたいこともないほどの無気力には
陥ってはいないようです。
少なくとも来春の花見までは。
M老健での手続きは案外長くかかり、
施設のルール、リハビリのこと、ケアマネさんとの話、
施設でお世話になる主治医の先生など
入れ替わり立ち替わりで
始めてだったので、緊張でかなり疲れました。
父も母も緊張と疲労で、途中で眠っていました。
そして、父がこれから一ヶ月を過ごす部屋へ
案内していただきました。

部屋に入る父を注意深く観察していましたが、
安堵の表情が溢れてきました。
父のための個室は18㎡で、
決して広くはなかったのですが…
「お父さん、もしかしたらうんと狭くて、歩く場所もない
かもよ。どんな環境でも、もう35キロ地点なんだから
あと一息我慢してね」
と頼んでおいたので、
おそらく父は独房のような雰囲気を
思い描いていたことでしょう。
(独房を見たことは無いのだけれど。)
想像より広めで、
幸運にも南向きの部屋。
明るい光が差し込み気持ちのいい風が通ります。
父はずっと6人部屋の暗い片隅で、
周囲に気兼ねしながら(父なりではありますが)
暮らしてきたので、
個室が嬉しかったに違いありません。
まして、ドアを開けると目の前が食堂。
そのコーナーにはヘルパーさんがいつも
待機していてくれます。
父が部屋に入るなり、
急に明るい表情に変わったのが、
何より嬉しく思いました。
上手く馴染んでくれることを願うばかりです。
その後、私と母と相棒に見守られながら、
父が自分でなんとか着替えをして、
しばらく荷物の整理をしました。
小さな引っ越しでしたが、
なんだかんだと一日仕事でした。
やはり、身寄りの無いお年寄りは
どのように生きればいいのかと改めて思いました。
明日は我が身でもあります。
母と相棒と3人でPパン屋さんのカフェでサンドイッチと
オニオングラタンスープを頼み、簡単な食事を済ませました。
母を家までおくりとどけたところ、
母が突然、父の座る椅子が痛そうだったので、
父にクッションを届けてほしいと
言い出し、仕方なく再び父の部屋へ。
人が気になる所は
本当にいろいろなんだと思います。
ちょうど妹が頼んでおいた卓上用の
引き出しを買って来てくれていて、
杖のホルダーが必要だとか、
デスクにライトがあるといいねとか、
まるで、子供部屋作りのような会話が交わされました。
父は疲れているにも関わらず、意外に元気です。
さて、新しい生活が始まりました。
父の転倒から約2ヶ月、長い長い2ヶ月でした。
その間、私を翻弄し続けた仕事のほうも
もう少しで一段落し、通常ペースに戻れそうです。
今日が、第2章の幕開きなのかもしれません。


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